みなさん、こんにちは! 海と日本プロジェクトinふくしま、レポーターの染矢です。今回は、いわき勿来関文学歴史館にて行われている企画展「語り伝えたい記憶~風船爆弾と学徒動員~」へ行ってきました。
きっかけは、企画展を知らせるポスター。海上に白い風船爆弾が浮遊し、その様子をひとりの少女が浜辺から眺めています。この絵は、いわき市出身のイラストレーター金澤裕子さんが担当されました。 初めてこの絵を見た時、自分が想像する爆弾の姿とかなりかけ離れていたことに驚きました。私にとって爆弾とは、無機質で直接的に戦争を連想させるモノ。一方で描かれている風船爆弾は、ふわふわと浮いている姿が美しく、爆弾だということがまるで信じられません。 一体、こんなふんわりとした物体がどうやって戦争の武器として使われたのか。 その答えを探しに訪れました。
この文学歴史館の場所があるのは、いわき市南部の海沿いに位置する、勿来。実は、この地で風船爆弾が飛ばされていたのです。終戦から間もなく79年を迎えようとする今、戦争を経験した世代が高齢化し、その事実を知らない地元の人が増えてきました。今回の企画は、風船爆弾の目撃者やふ号作戦の関係者の証言が忘れ去られないよう語り伝えるため行われました。
太平洋戦争末期、日本軍は気球に爆弾を搭載した兵器「風船爆弾」を開発し、偏西風を利用してアメリカ本土を攻撃する「ふ号作戦」を行っていました。
企画展では、風船爆弾の材料や仕組み、ふ号作戦の様子、学徒動員、アメリカ本土での被害など、展示パネルや風船爆弾の模型、実際に使われていた物などが展示されています。また、イラストレーターの金澤さんによる、当時の様子を再現した絵も設置されており、よりリアルに想像することができます。
人を使わずして相手国を直接攻撃することができるこのアイディアは、当時としては画期的です。一方で、最終決戦兵器として約9300個の風船爆弾を製造・放球したにもかかわらず、わずか1000個ほどしかアメリカ本土に到達しなかった事実を知り、製造から実行までの労力に見合う結果が伴われなかったのだと虚しさを感じました。
特に印象に残ったのは、海の上を風船爆弾が浮遊している様子を見た人たちの証言でした。
「あちこちで風船爆弾が上がり、太陽の光に当たってきれいだった」。
この感想を、私は素直に受け入れることができませんでした。私が知っているいわきの素晴らしい海が誰かの命を奪う風船爆弾の舞台となっていたわけです。その風景を「きれい」と思うのは、あまりにも不謹慎ではないかと思ったからです。
ですが、当時の人たちの立場になって考えると、風船爆弾がどのように人の命を奪うのか想像する術もなく、ただふわふわと浮かぶその風船自体をひとつの美しい風景として眺めていたのだと想像しました。また、風船爆弾と言っても、爆弾を落とさなければただの風船に過ぎないので、「きれい」という感情を抱くのは当然なのかもしれないと思いつつも、やはり複雑な心境になります。
文学歴史館を後にし勿来の海沿いを走りながら、風船爆弾が飛んでいた風景を想像してみました。どこまでも続く地平線に、太陽の光が白波を照らす穏やかな風景。ここがかつて爆弾を送り込んだ場所だったという事実を知った今、目の前に広がる美しいはずの海が私の心と同じように霞んで見えました。
今回の展示で、「戦争」というものを改めて考えるきっかけとなりました。戦争とはなんだろう、何のために命をかけて戦うのか、戦争が問題を解決するための最良の手段なのか、そもそも戦わずに解決する手段はないのか……。戦争は個人の小さな争いから始まります。争いが大きくなる前に、それが本当に最良の手段なのかひとりひとりが一度立ち止まって考え、相手を尊重し受け入れることで戦争は限りなくゼロに近づくのではないかと思いました。
風船爆弾のように、海には楽しいだけではない一面があります。みなさんの身近な海にも、自分の学びに繋がるメッセージが隠されているかもしれません。
イベント名 | 企画展「令和6年度企画展 語り伝えたい記憶 ~風船爆弾と学徒動員~」 |
日程 | 2024年4月25日(木)~9月1日(日) |
場所 | いわき市勿来関文学歴史館 |