みなさん、こんにちは。海と日本プロジェクト in ふくしまレポーターの松井です。
今年の6月に、「海無し市」の福島市からいわき市へと移住してた私は、新しくできたサイクリングロード「七浜海道」の周辺をドライブしたり歩いたりして見た風景や学んだことをレポートしてきました。いわきという町を知らなかった私は、七浜海道をめぐることは、様々な気づきや発見を通して、街を知っていくことができました。今回は、半年ほどかけていわきの海をめぐって感じたこと、考えたことをまとめていきたいと思います。
七浜海道散歩で巡った場所に共通して感じたこと。それは、場所から受け取る情報量が非常に多いことです。小名浜港ではかつての駆逐艦が今自分が建っている場所の付近に沈められているという不思議な感慨を味わいました。薄磯海岸の賽の河原は、水子供養という所から土地の歴史について考えるきっかけにもなりましたし、お地蔵様が運び出された海蝕洞からは震災のことが思い起こされます。七浜海道沿いの防波堤や、岩間海岸のモニュメント、豊間海岸のブロンズ像「海を見る」など震災とそこからの復興について考えるきっかけになるものもあちこちにありました。
そうした様々なことに思いを馳せる入り口が多く存在しているというのは本当に豊かなことだと思います。なんとなく見過ごしていた石碑や祠について後から調べた時に、土地の歴史と結びついていることを知った時には何とも言えない感動を味わうことができます。
他にも七浜海道の道中には、龍神を祀る祠や石碑、神社が点在しています。龍神信仰は海や水との関りが深いと聞きます。例えば、私が住む中之作には、「竜ケ崎 八大龍王尊」という石碑があります。そこには、へそ石という岩があり、「へそ石が動くと災難が起きる」との言い伝えがあるそうです。そうした所から災害を予測するというのは、形は違えど、その当時の人々にとっての防災で、海との付き合い方だったのだろうと思います。
先日いわき市・湯本で行われた古本市で偶然手にした本に、海について印象的な一節があったので、ここに引用します。
「海のことをわたしたちは、好ましい、荒れている、不実だ、気まぐれだ、悲しげだ、狂っている、あるいは、怒っている、穏やかだなどと言う。(中略)移り気で、暴力的なまでにわがままという性格を、古代人たちは自分の神々のものと見なしたし、私たち自身も女性に与えることもあるが、海に隣り合って生きる人間にとって、そうした性格の観念を海に対して抱くことは、ほとんど避けられない。」(ポール・ヴァレリー,東宏治・松田浩則訳,ヴァレリー・セレクション,平凡社,2005)
こうした海をある種、擬人化して敬ったり、畏れたりしつつも、共に生きてきた人々の営みの痕跡がいわきの海にはあるように感じます。大昔の海に対して人々が抱いていた思いや信仰、10年前の震災で土地が受けた傷、そして今目の前に広がる景色。そういった長い時間の積み重なりを感じられるきっかけになる財産が多くあるというのがいわきの海の一番の魅力なのではないかと思いました。
こうした土地の歴史を触れるきっかけが多く存在するいわきの海は、私の育った環境についても光を当てることになりました。私は福島市のニュータウンで育ち、数十年前に造成された団地なので、いわきのように昔の人々の暮らしの痕跡みたいなものは全くと言っていいほどありません。いわきに住んだことによって、「ここと自分が育った町はどういう所が違うんだろうという」ことを意識する機会が増えました。
「自分の育った町にはいわきの様な歴史的な豊かさを感じられるものはないけど、何か別の美点があるはずだ」という様なことも考えます。こういった視点はいわきに来る前には持っていなかったものでした。時間をかけて土地と関わると、自分の育った環境やそこで形成されたアイデンティティといったところにも、自然と目を向けざるをえないのではないかということを知りました。
まだまだいわきの海には自分が発見できていない魅力がたくさんあると思うので、これからもそうした海の魅力を見つけていきたいと思います。同時に自分が育った町の魅力についても見つけていきたいと思います。
海と日本プロジェクト in ふくしまレポーター:松井武郎
イベント名 | 七浜海道散歩(終) |