レポート
2023.04.12

かつてのまちなみを想起する。文化交流センター「観海ホール」

 

みなさんこんにちは! 海と日本プロジェクトinふくしまレポーターの前野です!
先日、福島県の最北端・新地町に震災後新しくオープンした「観海ホール」に行ってきました!
新地町の海水浴場・釣師浜海水浴場から車で2分の場所にあり、「海」の名前がつく観海ホール。一体どんな建物なのでしょうか?

観海ホールは、新地駅のすぐそばにあり、町の文化交流センターとしての機能を果たしています。294席の座席数がある「多目的ホール」、歌や楽器の演奏の練習がする「スタジオ」、打ち合わせができる会議室などがあります。

観海ホールを運営している管理人の方によると、普段は全国各地の地域をめぐりながら演奏するストリートピアニストのライブ演奏や、近隣のホテル「ホテルグラード新地」と合同企画による小規模のミニコンサートが行われているのだそうです。今はホール内にピアノが設置されていますが、ゆくゆくは外にピアノを置いて、まちの景色と音楽とを一緒に楽しめるイベントを開催したいと考えているそうです。

観海ホールを出ると、広い芝生が広がっていて、石碑のようなものがありました。そこには「史跡観海堂」の文字が。観海ホールの「観海」は、観海堂の名前に由来しているとさきほどの管理人の方が教えてくださいました。

 

史跡が伝えるもの

  1. 観海ホールの外観
  2. 観海堂の史跡が建てられています
  3. 観海ホール内に展示してある「観海堂」

観海堂は、実は福島県内で一番はじめに建てられた学校で、明治初期に設立されました。新地町福田地区出身の目黒重真が、学校に関する制度や法律が成立する前から教育の重要性を訴え、新地町の海沿いに学校を建てたのがはじまりです。海の近くの学校であったこと、子どもたちに海のように広い心を持ってほしいという思いから、「観海堂」という名前がつけられました。

明治時代の校舎はずっとこの地区に残っていましたが、東日本大震災の津波により流出。今は史跡だけが残っている状態でした。新地駅や防潮堤などが新しく建設され、今はこの場所から海をのぞむことはできません。しかし、史跡を建てることや建物の名前に学校の名前を用いることで、よそからきた人にも新地町の歴史を知ってもらう機会に、当時のまちなみを考える機会になっていると感じました。

海に関連する言葉が地名になっている場所は、この場所がかつて海だったことを表します。観海堂のように、地名だけでなく建物の名前が海に由来するものを探したいと思います。

海と日本プロジェクトinふくしま レポーター 前野

イベント詳細

イベント名新地町文化交流センター 観海ホール
場所福島県新地町駅前一丁目3番地
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