レポート
2022.06.22

海のある暮らし【永崎海岸編】

 
みなさんこんにちは! 
海と日本プロジェクト inふくしまレポーターの前野です。

これまで海と遠い暮らしをしていた私ですが、2022年4月にいわきにやってきて、人生で初めて、海が身近に感じられる暮らしを送っています!今後、海プロ inふくしまのレポーターとして、福島県の海にまつわる様々な情報や、私の暮らし・体験を発信していきたいと思います。海のある暮らしシリーズ第三弾の今回は、永崎海岸の昔と今をお伝えします。

 

永崎海岸のこれまでを辿る

  1. 永崎海水浴場近くを走る、江名鉄道の気動車(昭和30年代半ば 比佐不二夫氏提供)
  2. 永崎海岸線に沿って走る江名鉄道の気動車(昭和40年1月、米本健一氏撮影)
  3. 永崎海水浴場に集まる人々(昭和30年代後期、比佐不二夫氏提供)

 いわきの『今むがし』 vol.51を参考に、永崎のこれまでを振り返ります。小名浜港と中之作港の間に位置する永崎は、鮮魚を運ぶ道として重要な役割を果たしていました。昭和10年代に入ると、各港をつないでいた江名鉄道が、運営資金を集めるために永崎に海水浴場をつくる計画をすすめます。昭和20年代半ばには、地元の有志が一軒の脱衣所を開設し、永崎は「海水浴場」として注目されるようになりました。

いわきマリンタワーを南に臨むことができ、1キロにわたる真っ直ぐな海岸線が続く永崎海水浴場は、年間約25000人が訪れ賑わいをみせていました。しかし、東日本大震災で起こった津波によって大きな被害を受け、海水浴場は閉鎖。地域の人口が減り期間中の監視や救護を担う実行委員会の体制が整えられないことなどから、今年廃止になることが決定しました。

永崎海岸のイマ

  1. 昼や夕方には、釣り人たちが集います。
  2. 夕方の永崎は、トワイライト時間です。
  3. 知り合った方から、朝ごはんのお裾分けが!

 海に入って泳ぐことはできなくなったものの、永崎海水浴場・永崎海岸は今もなお、地域の人たちの憩いの場として親しまれている場所だと感じています。私がそう思うようになったのは、ここで過ごす時間を大切にしている方々と出会い、想いや時間を共有できたことがきっかけでした。

いわきに引っ越してきて中之作に住み始めた私は、出勤時・帰宅時に必ず永崎海岸沿いを通るようになりました。朝は、ランニングやサーフィン、ヨガをしている人を、夕方は犬の散歩や釣りをしている人をよく見かけ、いきいきしている様子がみなさんから伝わってきていました。私も海辺の暮らしをもっと楽しみたいと、朝の散歩をはじめることを決意。

散歩をはじめて少し経ったある日、いつものように海の写真を撮っていたところ、ヨガをしていた方に声をかけられました。その方は近所に住んでいて、しかも私の活動を知ってくれていた方でした。「ずっと会ってみたいと思っていたから、ここで会えてよかった〜」 と伝えてくれました。

その後、朝ご飯のお裾分けをもらったり、誕生日を祝ってもらったりと交流が続いていて、今は海辺の暮らしを楽しむための計画を一緒に立てています。永崎海岸という場があったことで、自分の日常とだれかの日常とが重なる部分が生まれ、結果ご縁が生まれたのだと思いました。

震災や何かのきっかけで、これまでの役割を担えなくなった地域資源や施設は、海水浴場以外にもたくさんありますよね。壊して新しいものをつくるという選択肢だけではなく、そのままを残し新たな用途を生み出していくという選択肢があることで、そこで暮らす人々の想いも大切にするまちづくりが実現できるのかもしれません。地域を捉える視点を、まちに関わるひとりとして新たに学んだ体験でした。

これからも永崎海岸の今をウォッチし続けていきたいと思います! それではまた!

海と日本プロジェクト inふくしまレポーター:前野

イベント詳細

イベント名永崎海岸
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