みなさんこんにちは! 海と日本プロジェクトinふくしまレポーターの前野です! 先日取材で東京都の離島・伊豆大島に行ってきました。伊豆大島は、東京都島しょ地域の中でも、本土に一番近い離島です。竹芝港から出発するジェット船に乗れば、約2時間で島に着くアクセスのよさ。
自然公園法により、島の約97%が島の景観や生態系が保護されているため、大地と自然のつながりを楽しめながら学べる島として、日本ジオパークにも認定されています。そんな伊豆大島で、最近注目されているのが「波浮港(はぶこう)」です。島の南部に位置する波浮港は、歴史と文化が色濃く残るエリアで、昔懐かしい風情を感じられる人気スポットとなっています。
これまでに2回大島に行きましたが、波浮港を訪れると、いわき市・中之作とどこか似た雰囲気を感じます。東京の港町と福島の港町にはどんな共通点があるのかをレポートしていきたいと思います。
中之作と波浮港の最大の共通点。それは港を有した「港町」であるという点です。
波浮港は、火山の噴火でできた火口湖「波浮の池」を工事し、1800年に開港した港です。明治時代から昭和初期までは、遠洋漁業の中継港となり、旅館や飲み屋、映画館が立ち並ぶなど、まちもにぎわいました。当時、波浮港には映画館がなんと2つもあったそうで、こうしたエピソードからも当時のまちの勢いを感じられますよね。また、台風が近づくと、停泊所としての需要も高かったそうです。
中之作は、江戸時代は塩を流通する貿易・物流港としての性格が強く、本格的に漁業に舵をきったのは明治時代以降でした。カツオやマグロといった県外漁船を誘致する「廻船誘致」に力をいれて、最盛期を迎えた中之作港。ちなみに中之作港では、つい先日も県外漁船のカツオの水揚げがありました!!
順調に思えた2つの港町の漁業に打撃を与えたのが、資源管理の観点から設定された「200海里の排他的経済水域」です。主要産業であった漁業の衰退に伴い、人口減少や高齢化も進み、現在は静かな港町になりました。
まちあるきをしていると、二階建ての木造建物が目に入ってきます。二階には格子が貼られた窓と窓際に手すりが。一体なんの建物なんだろうと不思議に思っていると、島の人に「これらは、遊郭建築の一種なんだよ」と教えていただきました。窓際の手すりは「欄干」というそうで、遊女がそこに肘をついている姿から、「肘掛欄干(ひじかけらんかん)」と呼ばれているんだとか。
江戸時代から幕府公認のもと、遊興の場として始まった「遊郭」。遊郭は主に性風俗を扱う場所であるので、路地裏に隣接しているイメージを持っていましたが、中之作や波浮港では、まちの大通り、つまりメインの通り沿いに建てられています。漁から帰ってきた漁師を迎え入れるために、開けた場所に建てたのでしょうか。産業と建築の結びつきを改めて実感しました。
近年よく聞かれるようになった「リノベーションまちづくり」。リノベーションまちづくりとは、地域の資源を活用して自治体の都市・経営課題を解決していくことです。一から新しい建物をつくるのではなく、空き家や空きビルなど、既存の建物をいかしながら、付加価値をつけていきます。
波浮港は、40代のUターンやIターン者が中心となって、エリアイノベーションを起こしているまちとして注目されています。数年前までは観光客もおらず、空き家が目立っていましたが、空き家に次々と新たな命が吹き込まれ、ゲストハウスやカフェ、飲食店に生まれ変わっているといいます。先ほどの「遊郭建築」をいかした物件もありました! また、セルフリノベーションで手掛けられたものも多く、どの物件にもオーナーさんの個性が現れています。
一方、中之作でも、震災後にNPO法人「中之作プロジェクト」が立ち上がり、空き家の活用・風景の保存に関する活動を長年続けています。NPOの代表を務める豊田善幸さんは、一級建築士。これまで地域住民を巻き込みながら、コミュニティスペース・カフェ・シェアハウスを手掛けてきました。
波浮港では風待ちの港として、中之作港では貿易港として、観光客や商人などがまちに訪れていました。よそものや新しいものを受け入れる風通しの土壌が、新たな取り組みを生み出しているのはないかと感じました。
福島と東京。この二つは一見すると接点がないように思えますが、主要産業であった「漁業」を切り口にまちの歴史をたどっていくと、今回紹介した建築やまちづくり活動のように、いくつかの共通点が生まれていきます。何かを起点にすることで、共通点や違いを発見しやすくなるのかもしれません。今度は、2つのまちの違いを探っていきたいと思います。
海と日本プロジェクトinふくしまレポーター:前野
イベント名 | 半福半Xな暮らし・働き方を考える 伊豆大島ツアー&ワークショップ |
日程 | 2023年7月8日(土)〜9日(日) |