みなさん、こんにちは! 海と日本プロジェクトinふくしま、レポーターの染矢です。
6月に入り、半袖で過ごす日も増え、一気に初夏真っ盛りですね。私はこの時期になると、毎週のようにふらりと海へ遊びに行くのが恒例です。いつも訪れている海の近くに、以前から気になっていた海の守り主「塩屋埼灯台」が立っています。全国でも珍しい上ることができる灯台だと聞き、ついに移住4年目にしてはじめて訪れてみました! 今回は第一弾として、「灯台の歴史・震災編」をお送りいたします。
塩屋埼灯台があるのは、いわき屈指の海水浴場である豊間海岸と薄磯海岸に挟まれた、標高50mの高台。断崖に立つ灯台までは、約200mもの急な坂道を上って行きます。標高が上がるごとに、早くも美しい海が見えてきます! 灯台から見下ろす方が絶景だとわかっていながらも、階段を上るたびにシャッターを押す手が止まりません。
息を切らしながら、高台に到着。太陽の光に照らされ白亜の外観がまぶしく輝いています。まずは、本命の灯台へ上る前に、併設の展示室へ。ここでは、塩屋埼灯台の歴史を紹介するパネル解説や資料、東日本大震災の被害を伝える展示などを見ることができます。
歴史コーナーの解説によると、現在の灯台は2代目。初代は、明治32(1899)年12月に建てられ、ハイカラなレンガ造りだったようです。しかし、当時の記録がほとんど残っておらず、「幻の大灯台」と呼ばれているそう。初代の灯台は、昭和13(1938)年に発生した福島県東方沖地震によって被害を受け、現在の鉄筋コンクリート造りとなりました。
2019年には120周年を迎え、展示パネルの横には120周年をお祝いする手作りのバースデーメッセージが飾られており、町のシンボルとして地元の人から愛されている様子が伺えます。
私が特に印象的だったのは、東日本大震災の灯台の被害を伝えるコーナー。当時働いていた館内のスタッフさんの証言や当時の被害の様子、さらに当時の様子を再現して撮影された写真まで展示されています。館内のスタッフさんによる恐怖や不安などの心境がリアルに書かれていて、読んでいて胸が苦しくなりました。高台にあるがゆえ、復旧工事もかなり大変だったようで、大きな材料以外は担いで坂道を往復したようです。このコーナーは、かなり力を入れた展示になっており、東日本大震災の記憶を忘れずに継承するという固い意志が感じられました。
この震災の体験をまじまじと読んでいるうちに、恐怖の感情でいっぱいになりその場から一時動けなくなりました。それと同時に、震災の記憶をただ「怖い」という感情だけで済ませ、どこか他人事のように感じていないだろうかと自問自答を繰り返していました。海の近くに住んでいようがなかろうが、地震や津波に限ったことではなく災害というものは、地球上どこにいても避けられません。いつ自分に降り注ぐかわからないのです。だからこそ、体験した人の話を実際に見聞きして、他人事ではなく「自分事」として捉え、自分がその立場になった時にどのように行動するか考えるということが大切なのではないのでしょうか。そんな複雑な気持ちを抱えながら展示室を後にしました。
次回は、塩屋埼灯台にいよいよ潜入します!
お楽しみに!
イベント名 | 塩屋埼灯台 〜歴史・震災編〜 |