レポート
2024.08.26

地域とは何か。未来の医療を担う学生の成長

みなさん、こんにちは!海と日本プロジェクト in ふくしま、レポーターの清藤です。

今回は、東京都にある杏林大学の学生と一緒に地域を学ぶツアーに参加しました。杏林大学からは医学部の3名、看護学生の4名が参加。一日目と二日目に学部ごとで分かれ、いわき市の沿岸部を車で回り、その後いわき震災伝承未来館へ。いわき市が初めての方は、都心の風景との違いに新鮮さを感じているようでした。

私自身も普段、家と学校の往復ぐらいしか移動しないので、今回の地域ツアーでは海の魅力に触れつつ、いわき市とはどんな地域なのか学んできました!

 

知識の探求は自分だけではできない

  1. 勿来の火力発電所。ジリジリと音が鳴り響き、人によっては体調が悪くなることも
  2. 震災で打ち上げられた防潮堤。震災を風化しないためにも残すことに
  3. いわき震災未来伝承館。初訪問の方がたくさん

午前9時。地域ツアー参加者が鹿島ホームに集合し、車に乗ります。学生たちは前日に夜更かししたこともあり、少し眠そうな雰囲気が。車内では、眠気覚ましもかねて、はじめに、簡単な自己紹介を行いました。趣味、部活、ツアーへの参加動機、意気込みなどどれも個性あふれる自己紹介でした!

自己紹介の後は、ヘキレキ舎の小松理虔さんによる地域ツアー。一台の車が通りすぎたとき、さっそく、小松さんが学生たちに問いかけます。「今通り過ぎている車の種類にもいわきの特徴が表れています。みなさん、何だと思いますか。」

学生たちは各々考えましたが、タイムアップ。小松の問いの答えはトラックの多さについてでした。いわき市は石炭工業で栄えた地域であり、現在も火力発電の燃料として、大量の石炭が小名浜港に運ばれます。そのため、必然的にトラックの交通量が増えるとのこと。

それに加え、小名浜に三車線道路があるのはそういった荷物輸送の車の出入りをスムーズにするためとも話していました。ちなみに、小名浜の三車線道路は夜になると猛スピードで走り抜ける暴走族的な存在もいたという豆知識も。

横切っていく車の種類、道路の広さ、建物の並び、歩く人など普段、気に留めないようなことにいわきらしい風土や産業が現れており、学生たちは常に目が点状態。私もいわきにずっと住んでいますが、そういった特徴から地域の特色を考えたことがなく、新たな発見ばかりです。

特に印象に残ったことは、お葬式の形態が地域内でも異なることです。勿来地区では神式、その他の地区では仏式と、車で私が住んでいる場所から1時間ぐらいの距離なのに、文化の違いがあることにびっくりしました。

その他には、「いわき市は工業が盛んで、汗をかいた労働者が塩分を欲して味の濃いものを食べることが多い。だから、心疾患や脳血管疾患になる方が多くなる」といったことも。また、海の近くに住んでいた人が、堤防によって海が見られなくなったことが原因で体調を崩すこともあったそうです。

小松さんは学生たちに、こういった地域の特色を理解することは患者さんに本当の意味で寄り添えることに繋がると伝えていました。

患者の疾患の背景には地域ならではの特徴が隠れており、学生たちもまた地域理解を深めることが医者として、看護師として、いかに重要かを真剣に聞いていました。

 

都心の人が思う被災地

  1. 災害時に役立つ食料の知識。意外なものが長持ち
  2. 館内は震災当時の記録が詰まっています
  3. 展望デッキから見た海はきれいで、癒されました

車でツアーをしつつ、いわき震災伝承未来館へ向かいます。小名浜から中之作、そして薄磯のルート。このルートを含め、いわき市の沿岸部には新しい住宅と古い住宅が入り混じっており、東日本大震災の津波による被害がどこまであったかを物語っています。

「海は恐ろしいものである。」津波の被害によって、そのようなイメージがついてしまいました。しかし、人は海がなければ生きていけません。

中之作の港を通ったとき、学生たちは「きれい」と感嘆をもらし、港を通り過ぎるまで海から目を離しませんでした。また、堤防によって家から海が見えなくなったせいで、体調を崩した人もいるということもありました。ただ、きれいな青い海が見えるという何気ない日常のひとコマですが、私たちが思っている以上に大切な存在なのだなと思いました。

いわき市の海に関する知識を教授していただきながら、最終目的地であるいわき震災伝承未来館に到着。いわき震災伝承未来館では、東日本大震災当時の被害と復興の様子だけでなく、防災に役立つ知識も学べます。また、震災を経験した人の想い、津波が来た時の映像もあり、震災を風化させないための役割も担っています。

震災当時、福島県いわき市にいなかった学生たちはいわき市の震災被害について衝撃を受けていました。福島県は津波よりも原発事故の被害のイメージが強く残っており、いわき市がここまで深刻な状況だったとは知らなかったとのこと。

館内を一通り見終わった後、二階の展望デッキへ移動。展望デッキでは、薄磯海岸を見渡すことができます。その日の海は館内で見た津波の映像と一緒とは思えないほど、穏やかで青く澄んでいました。学生たちも映像とのギャップに少し戸惑いを感じていました。

海を眺めて一息しつつ、学生たちにツアーの感想をインタビュー。ある学生は堤防や防災緑地が町の一部としてなじんでいることに驚いたり、いわき市の震災に対して地震のイメージが強かった人は悲惨な津波の被害に衝撃を受けたり。さらに、震災から10年たった今でも、復興住宅のような震災の名残がまだあり、完全に復興していないことに驚いた学生もいました。

今回、地域を学ぶツアーに参加して、いわきがどういう地域なのか21年生きてきましたが、ようやく理解できたように思います。そして、今もなお、沿岸部に人が住み続けている人がいることからも、人にとって海とは離れられないぐらい大事な存在であるということを改めて実感しました。

未来の医療を担う杏林大学の学生も小松さんの話やいわき震災伝承館を踏まえて、地域とはどういうことなのか学べ、自分自身の成長に繋がったのではないかと思います。

 

場所いわき市沿岸部

レポーター紹介

清藤杏加(せいとう・きょうか)

福島工業高等専門学校ビジネスコミュニケーション学専攻に在学中。出身はいわき市四倉町。魚は見るのも食べるのも大好き。四倉を中心に福島県の海の魅力を発信!

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