今年、海と日本プロジェクト in ふくしまでは、福島の海の復興の現状や風評被害について現地調査を行う、筑波大学社会学類・五十嵐泰正ゼミとコラボ。学生目線で、そのリサーチ結果や感想をレポートしてもらう連載企画をスタートします。初めて福島の海を訪れる学生たち。福島の海は、彼らの目にどのように映るのか。これからの「海づくり」の参考にすべく、長期的に連載していきます。
筑波大生現地調査レポ vol.25
守り続けてきた海の恵みを、これからの世代へ
―四倉・ホッキ貝漁の共同経営と今後―
こんにちは!海と日本プロジェクトに協力させていただいています、筑波大学社会学類3年の山本和音です。
9月24日(月・祝)に、いわき市漁業協同組合四倉ホッキ組合・組合長である佐藤芳紀さんをはじめ、いわき市四倉港にてホッキ貝漁をしている組合員の方々に、お話をきくことができました。組合の皆さんは現在、週1回「第三丸共丸」でホッキ貝漁に出るほか、船曳網漁や刺網漁など、各人の個別のお仕事もなされており、組合長の佐藤さんは、遊漁船「弘明丸」の船長でもあります。
今回はそんな組合の方々に、四倉におけるホッキ貝漁の歴史、ホッキ貝漁のやり方、四倉産のホッキ貝のセールスポイント、ホッキ貝漁の魅力と今後の展望など、たくさんのお話をきくことができました。古くから、資源管理型漁業の先進的な事例とされてきた四倉のホッキ貝漁には、思わず「えっ!?」と驚いてしまうようなお話がたくさんありました。
佐藤さんによると、四倉では戦前、そして戦後まもなくは、四倉にホッキ貝の缶詰工場があったこともあり、ホッキ貝漁が盛んにおこなわれていたといいます。しかし、その後何10年にわたってホッキ貝は姿を消し、漁はおこなわれなくなりました。佐藤さんが考えるには、高度経済成長期に鉱山の開発や、工場の建設などが進み、そこからの排水によりホッキ貝が住みづらい環境になってしまったのではないか、ということです。
しかしある時、佐藤さんたちがコダマガイという貝をとっていたところ、そこにホッキ貝の稚貝が、たまたま混ざっていたといいます。そこで資源量を調べてみたところ、計算上当時では取り切れないほどの、莫大な数字だったといいます。15年から20年も生きるホッキ貝は、良いとは言えない環境の中で細々と世代交代し、条件がそろったと同時に大量発生したのではないか、と佐藤さんは考えています。
せっかく大量にある資源だから、何とかしてうまくとりたい。佐藤さんたちにはそんな気持ちがありました。そこで、3年間貝桁網漁を禁止し、各船主に共同出資をお願いして、ホッキ貝漁専用の船や設備をつくる資金に充て、共同経営することを決めたのです。当時大多数の船主さんがこれに賛成し、ホッキ貝漁は順調な水揚げを続け、数年後には船が2艘に増えるなど、共同経営は好調でした。
その背景には、共同経営ならではの平等、民主的な経営の仕組みがありました。当時20数人いた乗組員を3班に分け、3日に1回のペースで、ホッキ貝漁の順番が回ってくるようにします。この時、船曳網漁や刺網漁など、自分の漁の仕事がある場合はそちらを優先しても構いません。最終的にホッキ貝漁の配当は月に何日出たかで決まるので、その人が出た分だけの配当がもらえる、ということになります。
組合は、ホッキ貝漁の水揚げから得られたお金を管理し、人件費や燃料費、設備準備金など様々なことに充てます。残ったお金は年に2回、船主配当として各船主に均等に配分されます。また先ほど漁に出るのは船主の自由だといいましたが、何時に漁に出るかということも自由で、早くて早朝の2時に漁に出る人もいたといいます。組合のメンバーにはもちろん世代の違いはありましたが、仕事はその世代の人に適したことを任され、給料等の面では完全に平等だったといいます。
約30年前に発足したこの共同経営の組合は、当時ではかなり画期的。佐藤さんは若くしてその初代組合長になりました。経営において、年代が上の人々との対立もあったといいますが、佐藤さんは信念がありました。「コマって心棒が1本だからうまく回るんです。えらい親方が2人も3人もいていちいち話をきいてたら、うまくまとまらんでしょう。みんなで協議して、言いたいこと言って、若い者が先走ったら年寄りが助言する。それでいいと思うんです。」 先進的な共同経営の基本は、全員で話し合うこととリーダーの強い求心力だったのです。
現在は試験操業のため、週に1回のホッキ貝漁となっています。年間を通して6月から1月が漁期で、2月から5月は禁漁期としています。ホッキ貝漁は貝桁網漁という漁法でおこなわれます。現在は機械化が進んでいますが、昔は潮干狩りで使う熊手型の巨大な漁具に網をつけ、それに括り付けたロープと滑車を利用し、手と足を使って引いていたといいます。
現在は技術の発達により、「噴流式マンガ」と呼ばれる漁具を使って漁をしています。この噴流式マンガは、船のエンジンで水圧をかけて土を掘りおこし、その中に埋まっているホッキ貝をとることができます。昔は手動で無理やり漁具を引っ張っていたので、貝の中身が傷ついてしまう「ベロ食い」と呼ばれる現象が起こっていましたが、噴流式マンガを使うことによって、この現象はほぼなくなったそうです。
四倉のホッキ貝はそのような漁法でとられていますが、ホッキ貝と言えば、北海道産や青森産のものも有名。その地域と比べて、四倉のホッキ貝のセールスポイントは何ですか?という質問に対して、佐藤さんは次のように答えてくれました。「北海道や青森のものは10㎝から11㎝ほどあるんですが、四倉でとっているものは8㎝から8.5㎝の3,4年物。でもね、若い育ちざかりの貝は味がおいしいんです。この年代のものは、数もたくさんありますしね。」
また、ホッキ貝は春先には産卵期のため痩せて水っぽくなり、味が落ちるといいます。6月ごろからどんどん育ち始め、7,8月の夏場が一番おいしいといいます。四倉のホッキ貝漁はそのことも考慮して、漁期と禁漁期を設定しています。また、組合員の方々がそろっておすすめしていたホッキ貝のレシピは、「ホッキ飯」。特に船の上で海水でお米をとぎ、とれたてのホッキ貝を入れて作るホッキ飯は、格別だということです。
最後に、ホッキ貝漁の魅力と、今後の展望についてお聞きしてきました。組合員の皆さんは、四倉ではホッキ貝漁のほかにも、様々な漁を営んでいますが、それらの漁は時期、年によっていい時も悪い時もあるといいます。その点ホッキ貝は、年間を通して一定の漁獲量が見込め、値段の変動に応じてとる量も変えることができます。佐藤さんはホッキ貝を「素晴らしい資源で、ここ2,30年で一番安定した漁獲物。若い人に残してやりたい資源です」と語っていました。
また、後継者不足と言われる日本の漁業ですが、四倉には頼もしい後継者が育っています。一昨年ホッキ貝漁の船に乗ったばかりで、佐藤さんの息子さんである文紀さんにも、ホッキ貝漁の魅力と今後のお話をききました。「やっぱり資源が安定しているのはかなり大きいです。ほかの魚がとれなくても、ホッキ貝だけで食っていける。大事なのは、それをどれだけ長く続けていけるか。資源保護をしながら、水揚げにもつなげていく取り組みが必要だと思います。」四倉の将来を担う次世代の方々にも、ホッキ貝漁の魅力と共同経営の重要性は、すでに伝わっています。
今回このようなお話を聞いて、自分の思い描く日本の漁業の姿とは異なる漁業の姿が、日本国内に、それもこんな近くの地域にあるということに驚きました。日本の漁業は資源量の減少が問題となって久しく、資源管理型漁業の必要性が様々な場所で言われていますが、30年も前に共同経営という形で、実現している事例があったのです。
15年ほど前には、漁業資源保護などの取り組みが表彰される全国的な大会でも表彰され、その先進性は高く評価されています。その経営を支えてきたもっとも重要なことは、みんなで話し合いをし、みんなに平等な仕組みを作ること。当然のように思えることかもしれませんが、それを続けてきたからこそ、今も四倉にホッキ貝という、安定した漁業資源が存在しているといえるでしょう。
四倉のホッキ貝漁も、震災や原発事故等の風評をはじめ、よりホッキ貝が住みやすい漁場づくりなど、乗り越えていかなければならない課題は、現在もあります。しかし、今まで見てきたように、今後の福島、日本の漁業にとって、モデルとなる要素を多く持っています。そのような事例を活かし、漁業資源の持続的利用を広げていくにはどうしたらよいか。引き続き、学生の視点から考えていきたいと思います。
イベント名 | 筑波大学社会学類・いわきでの調査実習 |
日程 | 2018年9月24日 |