今年、海と日本プロジェクト in ふくしまでは、福島の海の復興の現状や風評被害について現地調査を行う、筑波大学社会学類・五十嵐泰正ゼミとコラボ。学生目線で、そのリサーチ結果や感想をレポートしてもらう連載企画をスタートします。初めて福島の海を訪れる学生たち。福島の海は、彼らの目にどのように映るのか。これからの「海づくり」の参考にすべく、長期的に連載していきます。
筑波大生現地調査レポ vol.4
7年越しに胸に突き刺さった震災
みなさんこんにちは。筑波大学社会国際学群社会学類2年の河下未歩です。 7月にヒグラシが鳴り響く福島県いわき市を訪れました。向かったのはいわきの観光物産センター「いわき・ら・ら・ミュウ」の2階。「忘れたいこと、忘れられないこと、忘れてはいけないこと 3.11いわきの東日本大震災展」の見学をさせてもらいました。
メインはいわきでの震災のパネル写真展示。「笑顔」「震災」「記憶」「復興」「明日へ」の5つがテーマ。もともとは2013年から2014年にかけて行っていた震災展を再び展示されている様子でした。並ぶのはいわきでの津波や津波の後の瓦礫、いわきの震災に関わる人達の姿をとらえた写真の数々。写真以外にも段ボールで区切られた避難所の再現やいわきで津波が達した実際の高さの模型、携帯できる非常用飲料水、津波の映像などが展示されていました。
福島県いわき市も東日本大震災の被害を受けた地域の1つ。震度6弱の揺れと甚大な津波に襲われました。亡くなった方は441名、半壊・全壊の建物は15185件にも上ります。豊間・薄磯地区では8メートルを超える津波が町を飲み込んでしまいました。この震災展が行われている、いわきら・ら・ミュウのある小名浜地区も6メートルの津波が襲われています。
今回は震災展の2つの展示物を大きく取り上げていきたいと思います。
まずは展示されていた津波の高さの模型。高さは8.57メートル。豊間地区で襲われた津波と同じ高さです。だいたいマンションの3階の天井と同じくらいの高さ。模型の津波は会場の天井の高さの2倍近くあり、高さが足りていませんでした。天井で模型は90度折れ曲がり天井の側面にまで及んでいました。津波の恐怖を物語るかのように….。津波は高さが70センチで成人大人が流され、100センチで死亡率100%に及ぶという展示もありました。
70センチは私の太ももほど、100センチはちょうどおへそ辺りの高さでした。自分の身長の半分と少しの高さで確実に命を落としてしまう津波。その8倍以上の高さの津波が襲ってきた東日本大震災。津波の恐ろしさが痛いほど伝わってきました。
−遠かった福島が、リアルな福島に
次に再現されていた段ボールの避難所。1人当たりの広さは畳1〜2帖ほど。段ボールの区切りの高さは約1メートル。身長159センチの私のちょうど胸の高さくらい。体育館の床にブルーシート、毛布の順に敷いてありました。立つと隣の人の暮らしの様子が全て分かってしまうほどの距離の近さ。プライバシーなんて無いに等しい状況でした。3月のいわきは気温がマイナスになる日もある厳しい寒さ。避難されていた方の中には家族や友達の行方が分からず、不安で不安で眠れなかった方もいたはず….。そんな状況で体育館にブルーシートと毛布だけで寒さに耐え、夜寝ることができるのだろうか…。そんな思いに駆られてしまいました。
九州生まれ、九州育ちの私。そんな私は震災から7年半を経て、初めて被災地を目にしました。震災が起きたのはちょうど小学6年生の時。朝から晩までずっと流れる震災のテレビの報道特番を今でも覚えています。
私にとって東北、福島はとても遠い場所。大学生になるまで一度も踏み入れたことのない土地。正直に言うと当時震災は全く現実味がありませんでした。テレビで町が津波で飲み込まれる姿やヘリコプターで救助される人たちの姿を見てもどこか遠くの国で起こった話のように….。同じ日本で起きたとは思えませんでした。
でも、この震災展を見て震災が現実として自分に飛び込んで来ました。崩れた家の写真見るたび、津波で町が飲まれる映像を見るたびに胸が苦しくなっていく自分がいました。展示室を後にする頃には1時間近い時間が過ぎていました。久々に味わう重たい何かが心の底にズシンと沈む感覚。しばらく言葉を発することが出来ませんでした。実際に自分の目で見たからこそ分かる、伝わる震災の爪痕、恐怖がありました。
震災から7年半。震災直後は、「節電」「頑張ろう東北」のフレーズが色んな場所から聞こえました。対して今の世間はオリンピック一色。震災の風化は確実に進んでいます。私は風化には良い意味も悪い意味もあると思います。忘れることで震災の怖い、思い出したくない記憶に蓋を閉じることもできるから。
でも絶対忘れてはいけないこと、風化してはならないこともあります。再び同じ地で災害が起きた時、どこかの町で同じような災害が繰り返された時の教訓として。犠牲者を1人でも出さないためにも。
2011年3月11日。未曾有の地震が起きたこと、巨大津波が襲われたこと、いわきで400人以上の方の命が奪われたこと….。今までも、そしてこれからも決して忘れてはならないと心の底から思います。
イベント名 | 筑波大学・五十嵐泰正ゼミによる現地調査 |
日程 | 2018年7月22日(日) |